政治家としての矜持とは?

  発足から半年を経た現在も、各種世論調査で高い支持率を維持している高市早苗政権は、まさに「救国政権」と呼ぶにふさわしい存在ではないかと思う。

 石破前政権誕生時には、自民党に対する不信感が極度に高まり、私自身、政治への関心すら薄れてしまった。昨夏の参院選では、日本保守党に一票を投じ、リベラル色を強める自民党には「解党的出直し」が必要だと考えていた。しかし結果は、予想どおりの大敗であった。

 わずか一年、されど一年――。歯がゆさを噛みしめながら過ごしてきたが、高市政権発足後の内外情勢への迅速な対応、2月の衆院選実施という見事な決断、さらにはトランプ大統領との会談で見せた外交専門家顔負けの堂々たる振る舞いを目の当たりにし、「この政権でなければ日本は救われなかったのではないか」とあらためて感じている。

 昨夏の参院選で石破政権が大敗した背景には、「政治とカネ」の問題で揺れる中、不適切な選挙戦略を採ったことがあった。だが、それ以上に、派閥解消といった手法でしか国民に政治的信任を問えなかった政治家としての矜持の欠如には、失望を禁じ得なかった。

 そんな折、ふと思い立って石原慎太郎著『国家なる幻影』を手に取り、読んでみた。同書の末尾には、石原自身による国会議員辞職演説が収録されており、私は深い感銘を受けた。以下、その一節を引用したい。

 「新しい文明の造形のために、多くの可能性に満ちているはずのこの日本の将来を毀損しかねぬ問題がいくつも露呈しているのに、現今の政治はそれにほとんど手をつけられぬままに、すべての政党、ほとんどの政治家は、今はただいかに自らの身を保つかという、最も利己的でいやしい、保身の目的のためにしか働いていません」

 「他の誰にもまして新しい歴史造形の作業への参加資格のあるはずのこの日本は、いまだに国家とし ての明確な意思表示さえできぬ国家になり果てています。それを官僚による政治支配のせいだというなら、その責任は、それを放置している我々すべての政治家にこそあるのではありませんか」

 「それでもなお、長きにわたり私を支持し期待してくださった国民の皆様に、改めて心より感謝申し上げるとともに、深い慙愧の念を表します。そして、その故をもって、私は本日限りで国会議員を辞職いたします。ありがとうございました」

 これは、石原が国会議員永年勤続表彰の場で述べた辞職の言葉である。当時の私は、石原に対して「青嵐会を立ち上げた保守色の強い政治家」というぐらいの認識しか持っていなかった。しかしこの演説にふれると、政治家たる者さもあるべきの思いを強くする。議員としての保身ばかりが目立つ政治家が幅を利かせる現代において、これほどの矜持を胸に刻み、政治家人生を全うしようとする人物が果たしてどれほどいるのやら。

 おわりに、あるYouTube番組ゲストの話しによれば、石破前政権誕生に功があったとされる某大臣は、中国でハニートラップに陥ったとも、さらには不正なマネーロンダリングになりかねない危ういIR特区構想に深く関与しているとも噂されている。そして、その人物が今なお「第二次石破政権」の発足を諦めていないという話を耳にしたので、高市総理による党内基盤の完全掌握にはなお時間がかかると感じていたが、先に首相支持グループ議員による「国力研究会」が発足するとの報道が流れたことで、とりあえず安堵している。

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