「岸信介証言録」にみる日中関係

 読書後にどれほど印象深かった本であっても、記憶に残る文章はほんのわずかです。なので、歳を重ねて記憶が薄らぐ前に、自身の歴史観形成の上で少なからず影響を受けた本を選び、原文を引用するかたちで内容の一端を紹介していきたいと思います。

安倍元首相がいく度も読み返して政権運営の参考としていた「岸信介証言録」(中公文庫 2014年11月25日発行。底本は同題の2003年毎日新聞社刊による)は今回が4回目となり、紹介するのは日中関係に関する箇所です。インタビュアーは原 彬久氏(はら よしひさ)です。

「 岸 中国に対する私の基本的な考え方は、「政経分離」です。経済的な分野、例えば貿易関係は積み重ねていくけれども、政治的な関係は持たないというものでした。しかし、経済関係を重ねていくうちに世の中が変わってきて、政治的な関系が生まれてくるかもしれない。しかし、当時としては政経分離の形にしておこうというのが私の考えでした。

  • こうした政策が相当中国の癇に触ったわけですね。癇に触ったといえば、あの当時岸・蔣介石会談で蔣介石総統の大陸反攻政策(中国共産党政府に反攻して、台湾の国民党政権を大陸に復帰させるための政策)を総理が支持されたというようなことがいわれていましたが……。

 私は蔣介石さんには数回お目にかかっていろいろな話をしているんだが、その中で大陸反攻ということを企てても、軍事的にこれを実現することはほとんど不可能に近い、ということを彼には話しました。それよりは、この台湾で理想的な国家をつくって、大陸の大衆の生活と台湾における大衆の生活を比較して、台湾こそ王道楽土だというところを示せばよいのです。つまり蔣介石総統の政治が台湾の大衆に豊かな生活をもたらし、北京政府のやり方が国民大衆をいかにひどい目に遭わせているかということを示せばいいんです。彼我の差がはっきりすれば、蔣介石の政治が宣伝になって、大陸をさら追い詰めていくだろう、ということを私は蔣介石にいったことがあるんです。

  • 蔣介石の反応はいかがでしたか。

岸  蔣介石は非常に不満な樣子でした。つまり蔣介石は私の主張に対して、「君のいうことは非常に穏やかな方法だけれども、そうはいかんのだ」といって非常に反対の気持ちを露わしていたことを覚えています。しかし台湾が大陸に対して軍事的な反攻をするといっても、これは大変なことで実際にできるものではないですよ。大变な犠牲が出るんですから。

  • 当時新聞報道などでは、岸総理は蔣介石の大陸反攻政策を支持したのではないかといわれていましたね。

岸  蔣介石としては確かに無理もないことなんです。自分が中国大陸を支配していたのに、そこを追い払われたんだからね(一九四九年十二月、毛沢東率いる共産党との内戦に敗れた蔣介石は、多数の官民の他におよそ「五十万人」に及んだといわれる軍隊とともに台湾に亡命した)。しかし、私が蔣介石の「大陸反攻」を支持したわけではない。支持したからといって、何になるわけでもないんだ。とにかく当時の周恩来首相などは岸が台湾と仲良くすることに対して、もう怪しからんというナ二があったわけです。だから、中共におもねた人も日本にはおりましたよ。池田君はとうとう台湾には行かなかった。彼は何遍か台湾の上空を通ってはいるんだが、実際には訪問しなかった。これがまた蔣介石としては非常に不満だったんだよ。

  • 池田内閣のときには台湾との間でいろいろギクシャクした問題がありましたね。

岸 そうです。プラント輸出の問題(一九六三年八月二十三日池田内閣は、倉敷レイヨンのビニロンプラントの中国向け延払い輸出を承認)などがあったね。この間題で台湾が怒ってしまって、吉田さんが池田首相の親書を台湾に携行して行ったんです(一九六四年二月)。吉田さんとしては、可愛い池田を何とか助けてやろうというナ二もあったんでしょう。

  • いずれにしても、岸内閣のときには日中関係は最悪でしたね。

岸  北京政府としては、私に対して好意を持たないし、私は蔣介石および台湾政府(中華民国)を尊重していくという立場でした。もちろん、日本はその当時台湾政府との間にはきちんとした国交はあったが、北京政府とはなかった。しかし、北京政府をある程度認めなければならないわけだから、第四次貿易協定などというものを結んだわけです。通商代表部に旗を立てて国旗としての権利を認めろといわれても、それはできないということなんです。貿易をやっていくのに旗を立てなければできないという問題ではない、というのが私の立場でした。まあ最終的には、中国側に妥協しましたがね。長崎国旗事件のほうは、警備の不手際からああいうことを起こしたんだけれどね。」

                                   (同書200~203頁)

                                        (つづく

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