重光 葵の思いに寄り添う

 まもなく今年もまた8月15日を迎える。今年は初めて重光 葵著「昭和の動乱」(中央公論新社・中公文庫)を読んだ。うち数か所でとくに印象深く感じ入る箇所があったので、長文ながら原文を紹介し、戦後歴史の出発点の状況を再確認する素材にしたいと思う。『昭和の動乱』は、外交当事者が語る回想録でありながら、何よりも昭和の歴史を主題にしている歴史書である。

略歴(同書・牛村 圭氏による解説文から抜粋)

「重光葵は、1887(明治20)年7月、大分県生まれ。熊本の旧制第五高等学校卒業後、東京帝国大学法科大学法律学科独法科に入学。卒業後1991(明治44)年10月、外交官·領事官試験に合格。同期に芦田均、堀内謙介、5期先輩に廣田弘毅、吉田茂、1期後輩に東鄉茂德がいた。駐華公使として第1次上海事变の停戦交渉中、天長節祝賀式典で爆弹により右脚を喪失。その後外務次官、駐ソ大使、駐英大使、南京政府ヘの駐華大使を歴任。1934(昭和18)年4月、東条英機総理の内閣改造で外相に就任した。終戦まぎわの東久宮内閣で外相兼大東亜相として入閣(小磯内閣に次いで2度目~高田注)、占領軍との折衝にあたった。ミズ—リ号船上での降伏文書調印式に日本政府の代表として臨んだ。(略)極東国際軍事裁判開廷直前になってソビエトの強い要請のため戦争犯罪人として起訴される。無罪を確信するものの最も軽い刑として禁固七年を宣告された。」(同上書(下)373頁掲載)

ミズーリ号での降伏文書調印

「記者(※重光自身のこと)は外務大臣として、また天皇及び政府の代表として、我が歴史上未會有のことである降伏文書に調印に当る全権代表として、天皇陛下に拝謁した時に次のように内奏した。「文書に調印するということは、実に我国有史以来の出来事でありまして、勿論不祥事であり、残念でありますが、これは、日本民族を滅亡より救い、由緒ある歴史及び文化を続ける唯一の方法でありますから、真に已むを得ないことであります。日本は古来一君万民の国がらであり、陛下は万民の心をもって心とせられることは、記者等陛下に咫尺するもののよく拝承するところであります。これが、今までややともすれば、権力を有するもののために、曲げられたことがあったので、日本が今日の悲境を見ることとなりました。ポツダム宣言の要求するデモクラシーは、その実、我が国がらと何等矛盾するところはないのみならず、日本本来の姿は、これによって却って顕われて来ると思われます。かような考え方で、この文書に調印し、その上で、この文書を誠実に且つ完全に実行することによってのみ、国運を開拓すベきであり、またそれは出来得ることと思われます。

 天皇陛下は、この趣旨を深く嘉纳せられ、「まことにその通りである」とのたまい、あくまでその方針で行こうと激励遊ばれた。」(同上書(下)335頁掲載〉

軍政の発動と動揺

「終戦は国民の意思を汲んで、天皇直接の決裁に出でたもので、ポツダム宣言の内容を最も誠実に履行することが天皇の決意であって、その決意を直接実現するために、特に皇族内閣を樹てて総ての準備をなさしめた。これがポツダム宣言を遂行するに最も忠実なる方法である。ポツダム宣言には、明らかに日本政府の存在を前提とし、日本政府に代うるに軍政をもってすることを予見してはいない。日本の場合はドイツの場合とは異なるものである。連合軍が、もしボツダム宣言の実現を期し、且つこれをもって満足するにおいては、日本政府に拠って占領政策を実行することが最も賢明の策と考えられる。これに反して、占領軍が軍政を敷き、直接に行政実行の責任をとることは、ポッダム宜言以上のことを要求するもので、日本側の予期せざりしところなるのみならず、日本政府の誠実なる占領政策遂行の責任を解除し、ここに混乱の端緒を見ることとなるやも知れぬ。その結果に対する責任は、日本側の負うところではない。日本政府は、すでに一般指令第一号によって措置をとり、軍隊の解散もしくは武装の解除には全面的に着手しており、また軍需に関係ある工場の運転は、一切これが停止を命じておる次第である。云々。特に、天皇陛下のポツダム宣言実行の御決意を力說し、また平和的御意図については、満洲事変前にもさかのほって、事を分けて說明した。」(同上書(下)338頁掲載)

戦犯の逮捕

「戦犯問題に次いで、占領軍は、東京、横浜及び近在の焼け残っでいる建築物や設備の好い個人住宅を、片っ端から、容赦なく徴発し始めた。混雑を極めている電車や汽車も、占領軍用として、少なからざる部分を徴発し、これを殆んど空車で運転せしめた。これまで刑事犯人として牢獄にあった共産党員は、全部釈放されて、公然、占領軍の黙諾の下に、直ちに反政府及び天皇制反対の共産宣伝示威運動に加わった。占領軍は、天皇制に対する国民の批判を奨励し、数多の新聞紙及び放送局は、共産党の実勢力に帰した。日本は恰かも革命の前夜にあるが如き観を呈して来た。占領軍は如何なることでもなし得る威力を示すとともに、日本人は争って占領軍の意を迎える有樣であった。」(同上書(下)345頁掲載)

 以上のうち、とくには「ポツダム宣言の要求するデモクラシーは、その実、我が国がらと何等矛盾するところはないのみならず、日本本来の姿は、これによって却って顕われて来ると思われます。」の箇所は、日本人としていまこそしっかりと受け止めておくべき言葉と思う。

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